新年早々、忙しい。忙しいと睡眠時間も減って、見る夢も少なくなって、で時々見る夢も
仕事の夢しか見なかったりして。そうなると、寝ることそのものがちっとも楽しくないわけで。
しかしここまで仕事の夢しか見ないとすれば、例えば寝ている時間を使って仕事が
できないものかな、と考えたりして。どうせ仕事の夢しか見れないのであれば、
寝ている間に本当の仕事をしてもらう。で、昼間の自分はもう少しゆっくりする。
どうかな。夢の中の自分は無駄に焦ったり、逃げ惑ったりして全然生産的でないので、
もうちょっとあの時間を有効に使えないものかな、と思ったりする今日この頃であった。
2011年1月アーカイブ
三重県尾鷲市九鬼。三重県南部のリアス式の入り江の奥にある、小さな漁港の町である。
ここには親戚があって時々お邪魔するのだが、今回は九鬼を散歩してみたいと思う。
正月だから船には大漁旗。
Google Earthで見た九鬼。北側の岸に張り付くように町並みが出来ている。
Google Mapでみるとこの通り。海岸に面した通りは車が通れるのだが、
それ以外の裏の道は、ほぼ通れないほど狭いのだ。で、どうなっているかというと、
こんな感じである。並んで二人は歩けるが、三人は無理。
さらに歩くと道は階段に。階段の先にはさらに家が続いている。
この先にも家がある、これ以外に道はない、と言うことを考えると、家を建てるときの
建材は全て車以外の何かで運んでいることになる。階段を上がる、ということは全て人が
運んでいるのか?
この付近から後ろをふり返る。手前の階段は手すり無し。左のクリーム色の建物は
小学校だが、これも人が運んだのか・・・?まさかヘリコプターなんて
いちいち使わない、よな? 遠くに見える大きな屋根が水揚げ場。そこから車が入れないのである。
さらにずんずん歩く。古そうな石垣があるが、いつから有るのだろうか。
この土地の幅を見る限り、畑にするつもりで作ったように見える。
九鬼の歴史は1346年にさかのぼる、らしいが。
さらに古そうな階段。この先には見張小屋が。そのまま山道へと続いている。
狭い段々には、今は何も植えられていない。夏に行ったら何か植わっているかも知れない。
小屋のあたりから見る、入り江の入り口付近。狭い道には杉の葉が落ちており、
犬が歩きにくそうだったので(見るからに痛そう)、引き返すこととした。
また時間を作って、のんびりと歩いてみたい、そんな道であった。ちなみに
ここで頂くモイカ(アオリイカ)の刺身は絶品だと思う。それだけでご飯何杯でもいける。
10月から不調で動かなかったCDプレイヤー、やっと修理した。ゴム・プーリーなど駆動力の必要なところはベンジンで脱脂して、滑るべき所は掃除してからグリスアップして。必要なゴムベルトは交換して、ちゃんと動くようになった。で、鳴らしてみたら、第一声からいきなり音が良い。いろいろ聴いてみたくなる。今回も直ってくれてありがとう。ああ嬉しい。
うちの弟が中野ブロードウエイで買ってきたのだそうだ。久しぶりに見るカーケシは、自分の思い出よりかなりしょぼかったのであった。弟「このランチャー(発射器)の形が実に味わい深く・・」とか語り出すのだが、それは置いといて車のみいくつか紹介。
エキゾチックなスーパーカー関連。手前左から、ストラトス、カウンタック、パンテーラ、コルベット。奥左からポルシェ935(95と書いてあるので)、ポルシェ934(34と書いてあるので)フェラーリ365BB(36と書いてあるので)。適当に彫り込んだ文字が車種を表しているような、居ないような。ストラトスとフェラーリは横から見ると相当ぺったんこだが、スーパーカーなのでOKとしよう。
けっこう新しい車もあってびっくりなシリーズ。左から、コスモロータリーターボ(デザインはベルトーネだとか)、ルノー5(これって80年代の車じゃ・・・?)、フォードRS200(これも明らかにスーパーカー世代の車ではない)、ピアッツァ(これは格好良し)、おそらくサバンナRX-7。こんな新しい車まで作っていたとは驚き。
ちょっとイタタなシリーズ。左から、セリカリフトバック(リフトバックに見えず。 BMW M-Coupeみたい)、プレリュード(こんな車、あったっけ?)、スカイラインGT-X(ケンメリなのはわかるが、このプロポーションと反り返り具合があまりにも悲惨)、ホンダシティ(いろいろくっついて原形を留めず)、日産サファリ(同様)
我々がかっこういいと思っていたのは何だったのか、ポルコ・ロッソにでも聞いてみたい気分である。それとも子供の情報補完能力(妄想力)には限界がないのか。むしろそっちか。
車にナビを付けていない自分であるが、実家にいるついでに、犬を連れて小学生の時の友人宅を「記憶だけを頼りに」行ってみる旅に出た。30年ぶりに歩く道。けっこう覚えているものではあるが、あったはずの家が空き地になっていたり、全然知らない通りが出来ていたり。覚えていたはずの家が通りの反対側だったり、家が立派になっていて気付かなかったり。40年も生きていたら記憶と遊べることが分かった。懐かしいような、ちょっと寂しいような、でも楽しいイベントであった。