生活の最近の記事

| コメント(0)

logic141129.jpg

音の厚みはどうやって作られるのかを探るため、ちびちびと続けていたフィンランディアの楽譜入力ほぼ完了。音符が入っただけで機械演奏感ばりばり。パート間の音の大小とか強弱はこれから調整していく。それでも分かったこととしては、

・単音しか出せない楽器がまとまって作り出す和音は、その瞬間瞬間で勇ましい感じ、優しい感じ、名残惜しい感じ、等とどんどん変わっていく。それは主旋律という主人公が和音を使って心情を語っている、ようにも感じられたりして、「これはうまいな〜」と何度も唸った。
・この音をあのパートでも、別のパートで何度ずれている、みたいな調査を始めたらもっと分かってくるのだろうが(そもそもの目的はここ)、けっこう手間がかかりそう。パート間のバランスを取りながらトライする。
シベリウスに師事した人も、きっと同じような感心・感動を感じたのだろうか、なんて思ったりして(ま、こんなド素人は師事しない)。作業そのものは面倒だが、いろいろ感心しながら楽しめた。曲としてまとまりそうなところまでは頑張る(ここからが長そう)。

静寂の世界

| コメント(0)

okutama141005s.jpg

奥多摩に走りに行った。一ノ瀬高原という、青梅街道から少し外れた所の

展望台で休憩。時折通り過ぎる車の音、そして風の音以外は何も聞こえない。

音にまみれて生活していると、こういう音のほとんど無い場所が

とても新鮮で、貴重なものに感じられる。バイクに乗っている以上は

難しいだろうが、サマーベッドとか置いて半日くらいいたら

どんな気持ちだろうか。

dream140927.jpg
妻から風邪をもらったようで微熱+のどが痛い+だるい中、 家庭のエネルギーが圧搾空気の世界に行った夢を見た。 空気の配管工事現場の横を通って(見慣れぬ)自分の家に戻ったら、妻が家事をしていた。 テレビはなぜかブラウン管。壊れて動かないものがあると言ったら、 妻がその場で空気を詰めて動くようにしてくれた。 自分「これから時々こういう事を言うかも知れないが、さっきまで電気が家庭エネルギーに なっている世界に行ってたよ」妻「へー」(これから時々ってなんだよと夢の中の自分にツッコミ) 真っ暗闇の中で目が覚め、枕元のiPhoneに「100%充電済」と出ているのを見て、 「ああ帰ってきた〜」と思った。しかしこういうウソっぽいような本当っぽいような世界を 瞬時に構築できる脳の想像力、別の何かに活用できないものか。 世界中で夢を見ている人の能力を合わせたら、小さな世界を変えることくらい できるんじゃないかと思ってみたりして。夢見てまで働く気はないが。 朝起きたら妻に「家庭のエネルギーが圧搾空気の世界に行ってきたよ」と言ったら、 妻は「へー」と言うだろうか。「えっ!?」と凝視する様を想像してしまう自分は まとめサイトの見過ぎとでも言うのか(結局何も無し。当たり前か)。

教科書の歌について思う

| コメント(0)

musictext14.jpg
皆さんの音楽の教科書、もっとも新しい曲はなんでしたか。前から気になっているネタで
ある。82年頃卒業した自分の中学校の音楽の教科書の場合、たしか「翼をください(71)」
「太陽がくれた季節(72)」あたりだったと思う。まあ10年くらいはタイムラグが
あるのか(その年記憶しているのは贈る言葉)。
ということで、今年中学を卒業した長男の教科書を見せてもらったのだが、最も新しい
曲は「翼をください(71)」「太陽がくれた季節(72)」だった。おんなじやん。
つまりだいたい45年前の曲が最新てことになっている。
あ、「いろいろな映画音楽」の紹介はロッキー(76)ジョーズ(75)E.T.(82)とちょっと
新しい、いや、既に新しいとは言えない。どうしてこうなる。
・70年代のフォークはティーンエイジャーにエバーグリーンな魅力を提供出来るので
 これでいいんだ。
・音楽の教科書の検定は実は大変なんだ(長男の教科書は05年検定)。
・音楽の教科書に載せるような名曲が名曲として認知されるには、20年以上かかる
 ことが分かった(自分の教科書にフォークが載るには10年だったけど)。
・新しい曲を取り入れてみたけど、逆に父兄から評判悪かった。
・なんか勘違いしてないか。歌いたくなるような曲なんて関係ないだろう。
 音楽史上重要な曲を覚えればいいんや。
・教科書作る人がフォーク世代で、わしの目の黒いうちはアンジェラ・アキとか認めん。
・あまり想像したくないが、音楽の教科書作る人、やる気無し。
別に教科書に載っている曲が感動に値しない、とは言っていない。花の街(47)とか
朧月夜(14、てことは100前の歌か!)とか好きだし。しかし、フォークからの45年、
教科書に載せてもいい歌が、ティーンエイジャーが歌いたくなるような歌が、
生涯の友になり得るような歌が本当にたった一つも生まれなかったのか?
ということについては、自分でも考え直してみたいと思う。

ネガフィルムのスキャン開始

| コメント(0)

14photo01.jpg
ポジフィルムのスキャンが完了、ネガフィルムのスキャンに入ったが、苦戦中。
人物の判定が難しく、メモがなければいつ、どういういきさつで撮ったのか等、
なかなか思い出せず。一枚一分くらいかかるので、フィルムの交換も入れたら
一本のスキャンに小一時間かかる。これは長くなりそうだ。

スライドフィルムのスキャン中

| コメント(0)

1990sky01s.jpg
露出アンダー・オーバーだったりしたスライドをスキャンして、トーンカーブを
あれこれいじったりすると、今まで気付かなかったディテールが見えてきたりして、
けっこう面白い。失敗写真だと思っていたものがそうでなかったりして。
これは楽しいぞ。

名盤について考える#5(長文)

| コメント(2)

bestalbum1308s.jpg


一年ほど前に、長男に「巷で名盤と言われているロックの名盤を聴かせて、反応を見る」という企画を立ち上げて、あれこれ聴かせてみた。現在、どうなっているかというと、止まってしまっている。というのは、名盤と言われるものに対する長男の反応が総合的にあまりにも悪く、やめてしまったのである。現状あえて言うなら、
・親と子どもの好みに関する関係は、ある程度はありそう。少なくとも父が聴いて「これはどうかな・・・?」と思ったものは、ほぼ長男にもヒットしない。
・長男にのみヒットするものは、NirvanaとかMetallicaとか、比較的新しいもの
・Bob Dylanとか、Bruce Springsteenとか、父的にヒットしない古いものには見向きもしない
・で、巷で言われる名盤というのはそういう60-70年代の古いアルバムばかりで、長男ヒット率があまりにも低く、いやになってしまった。
・その割には、ついでに借りたり買ったりしている、名盤と紹介されているわけではないアルバムには食いつき良い(この前のAlicia Keys良かったよ!あとNoel Gallagharも!)
・調査用アンケートも、そういうことでやらされ感が大きく、やめている。新しい音楽を聴いてみることの妨げになったらあかん。そうでなくても(ほとんど)ヒットしない曲を延々聴かせているわけで。
考えるに、
・長男は長男の、自分は自分の時代を生きている。その時代に自分や長男が音楽を聴いて、それが集まって流行になる。流行になった音楽の中で、時代に流されなかったものだけが名盤になって残る。「個人が聴く-流行」というのはプロモーションとかもあるので必ずしも一方向ではないが、少なくとも個人個人から支持されない音楽は流行にならないし、ましてや名盤にはなり得ない。「名盤だ」という理由だけで個人にヒットする、という逆の流れは考えにくい
・ましてや名盤だからと違う時代の人間に聴かせることは、(その時代の支持されない音楽よりはマシとはいえ)相当本人にヒットする何かがないとダメなんだろうな
・なんてつらつら考えるに、名盤だからと検証もしないで長男に聴かせている自分はどうなのか、という気がしてくる。少なくとも「これいいぞ」くらい言うのが親の努めじゃないのか。
・結局名盤100なんて、自分の知らないどっかのおじさんが「これ、初めてテープ逆回転させた!」「史上初のコンセプトアルバム!」なんて理由で選んだりしているのもあるわけで。それは歴史上のマイルストーンかもしれないし、それを聴いて知識を広げることには意味があるだろうが、自分の好きなアルバムを探そうという時には、このアプローチでは決してないのだろう。
ということで今まではランダムに選んだりしつつ(なかば強制的に)聴かせていたが、今後はもう少し自然に聴かせていこうかな、なんて思ったりしている。また名盤でなく、名曲というくくりにしたら何か出てくるかもしれない。

yoda1305i.jpg
まずは先日見た夢の話から。呪われた場所みたいなところに入り込んだ途端に体が
動かなくなったと思ったら、いきなり体が宙に浮かび上がったのだ。
どこかへ連れてかれる?と思って悲鳴をあげたところで夢は終わった。
まあ怖い夢ではあったが、変だなと思ったのは、宙に浮かんでいる時、自分の体は
何かが下から支えているように感じられた事だ、あたかも座っている椅子ごと空に
浮かぶように。
まあ夢だから自分の脳がそれ以上の状況を想像できなかったのだろうが、
それはおいといて、例えばヨーダでもアキラでもバビル二世でも恐怖新聞でもいいのだが、
そういう力が存在するとして、その力が自分を宙に浮かす時、自分はそれをどう
感じるのだろうか。
吊り下げられる感じ?持ち上げられる感じ、あるいは重力が中和された、自由落下状態か
(なんだかこれが一番怖そう)。
なんて、存在するかどうかも怪しいものを想像したって分かるはずがないのだが、
いろんな映画や漫画で飛ばされている奴らが何を感じているかなんて想像を始めると、
ただいたずらに時間が過ぎて行くのであった。

YAMATO交差点

| コメント(2)

yamato2013.jpg
三重県津市(旧久居市)、榊原温泉近くにある交差点。なんたってヤマトですよ、ヤマト。
・・・と思って倭の字を調べてみたら、中国の方から見た日本人を指す言葉だそうで。
「小さくて背の曲がった人」の意味もあり。なんでこの場所にこの名前がついているのかな?
しかしなんつってもYamatoですよ、Yamato。それが何だと言われたらどうしよう。
んじゃ、その白山町。フランス語だとモンブラン。イタリア語だとモンテビアンコ。
白山町の西にある青山高原、英語だとブルマンだ。それが何だ?
んじゃここ、倭小学校というのもあるのだそうで。校長先生が「ヤマトの諸君」とか
言ったりするのだろうか。それが何だ?
んが〜。

墓参り兼ツーリング

| コメント(2)

新緑の季節だ。緑を見ながら走っていると、木々の葉の細かいところにフォーカスが
合うようになってくる。すなわち、一時的に近視が回復してくる。
写真は国道299号。川沿いの気持ちいい道だ。
送り出してくれた妻に感謝。

touring13043s.jpg

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれた記事のうち生活カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは法則です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。