海外に挑戦した日本人アーティストの英語はどうだったのか#4-聴かせてみたまとめ

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外人4人に日本人の歌った英語の歌を聴かせ、その反応を見た。結果は前回のエントリーを見てもらうとして、今回はもう少しまとめてみたい。歌の本を見ればどこかに書いてあるのだろうけど、以下は音楽のプロでもなんでもないトウシロが調査の結果、自分で「ああ、そうなんだな」と思ったことである。

大前提 : 歌における英語力とは、発音の良し悪しだけではない。発音、歌詞、メロディの少なくとも3要素から総合的に判断される。

1.発音について:
よっぽどのことがない限り、歌手間でそれほど大きな違いはないように感じた。聖子ちゃんの歌は彼らには一部聴き取りにくいところがあったようだ(よっぽどのこと)が、発音というのは思ったほど大きな問題にはなっていない。歌と言うことで、アクセントや発音はかなりごまかせてしまうのだろうか。ピンクレディーが健闘したのが意外、といったら失礼かもしれないが、ディスコ調で当たり障りのないフレーズの繰り返しで「ボロがでなかった」のではないかなと。ドリカムの、心の内面を歌うようなトライをむしろ評価したい。

2.メロディについて:
受け入れられやすいメロディと、そうでないメロディがあるようだ。今回調べた歌で上位に上がってきたのは、外国人(日本人でないという意味)が作曲した曲が多いかなと。その中ではゴダイゴ大健闘と言っていいのか。一方で日本的な歌は今ひとつだった。限られた曲数ではあるが、これを考えてみると、あくまで仮説でしかないが、

・日本語環境で育った我々/日本のアーティストは、意識しなくても日本語の発音に向いた、日本語的メロディを作る事が出来るし、その傾向がある。
・英語の歌詞があって、それに合ったメロディを乗せようとしても、その癖はそう簡単にはなくならない。逆にちぐはぐな印象を与えたり、聴きにくい歌を作ってしまう可能性がある。
・しかし、だからといって自分が蓄積し、実績を作ってきたノウハウやカラーを捨てるというのは、それはそれでリスクだ。ドリカムからあのメロディを取り去って、吉田美和の声だけを残したとしたら、それはドリカムといえるかな? ドリカムの歌、ドリカム2人とJeff Coplanの間であーでもない、こうでもないと散々議論したんじゃないかなと想像。で、あのメロディが残ったのなら、良かったのかなという気もする。

3.歌詞について:
外注したことになっている曲、あるいは外人とコラボして作った曲、おしなべて自然な印象に取られているというところをみると、やっぱり頼むだけのことはあるんだなあ、というのが素直な気持ちだ。ただそれで、現地の人のメンタリティを刺激するようなものが作れるのかは別問題。「We are love」みたいにあまりにも一般的な内容の歌だと、リアリティが全くなくて共感するところに乏しい。かといって(知ったかぶりをしたりして)ディテールを詰め込むと、かえってボロが出るというリスクが増大する。そのバランスの取り方が(きっと)難しい。ABBAとかは、その辺がたぶんうまかったのではないか、なんて思ってみたりして。欧米文化と日本では越えられない壁があったりするのかも知れない。

で、2010年と2016年で結果が違っていた理由についてつらつら考えるに、
・導入部分の説明、かなり違っていたのかなと。同じ事を喋ったつもりだが、台本を作ったわけでもないし。ABは歌の内容についてもいろいろ言っているが、CDはどちらかというと発音や歌詞の内容について言及している。ABが同じ順位、CDもほぼ同じ順位ということは、きっとそういうことなのかなと。
・外人の年齢や職業なども影響するようにも思う。数字のプロ、形のプロ、言葉のプロ、音のプロなど。
・2010年にイラストレーターで作った解答用紙、データが残ってなかった。手書きで作り直したが、きっと影響出ている。次はグループインタビューのプロに任せて、全員同時に話を聞いてみたい(金なら無いが)。

次回はそういうところを踏まえた、アーティストの立ち位置について考えてみたい。

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この記事について

このページは、ryo907が2016年6月25日 21:06に書いた記事です。

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